ロータスエラン ライトウェイトスポーツの模範になった車

イギリスの名門、ロータスの最高傑作と言えるエラン。“柔よく剛を制す”という言葉がありますが、小排気量ながら小型軽量を武器に大排気量車を負かしてしまう、そんな素敵な車です。エンジンをフロントに置きながらも、考え抜かれたフレーム構造によりミドシップ並の重量配分を実現しています。これは後のスポーツカーのお手本になりました。

ロータスについて

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
マーク2 1947年当時、ロンドン大学の学生のかたわら中古車販売業もしていたコーリン・チャップマン。売れ残った商品車を、レーシングカーに改造しようと思い立ちました。仕事のパートナー2人と、ガールフレンドも仲間にして大改造をはじめます。旧式のシャシなど大部分を作り直して、もはや別の車と言えるほどの大改造。この作業はロンドンのミューセル・ヒルにあった友人の実家のガレージで行われたそうです。
翌1948年、早速マイナーレースへの参戦を果たしますがあえなく撃沈。旧式のエンジンパワーではレース参戦には不十分で、より強力なエンジンを搭載した次モデルの構想に着手します。この次期モデルこそが“ロータス”と名付けられたはじめての車でした。
“チャプマンが完成させた2番目の車”ということで“マーク2”と呼ばれ、最初の車は“マーク1”と呼ばれるようになりました。マーク2は、さらに強力な“フォード10”エンジンへと換装されました。
その性能はすばらしく、総合優勝が4回、クラス優勝も4回と好成績を挙げました。中でもエイトクラブ主催のレース(シルバーストーンサーキット)では、現在でいえばF1マシンに相当するグランプリレーサー“ブガッティ・タイプ37”と競り合いの末優勝してしまうのでした。
型落ちとはいえ、相手は腐ってもGPレーサーです。無名のガレージ、しかも学生が作った車が勝利したことで、チャプマンは大いに注目されることとなります。マーク2は、ロータスの初顧客となるマイク・ローソンに売却されました。
気をよくしたチャプマンは、さらに本格レーシングカーの開発を始めます。販売目的のレーシングカー、マーク3、マーク4を完成させました。特にマーク3は、当時イギリスで人気のあったフォーミュラ750カテゴリで無敵の強さを発揮、ロータスの名は着実に高まっていきました。
本格レーシングカー製造販売を目指していたチャプマン。マーク3の成功により、いよいよ市販モデルの構想に着手します。
それまでのワンオフスタイルとは異なり、量産を前提に開発したモデル“マーク6”。1952年1月1日、ロンドンのホーンジー、トテナム通りにロータス・エンジニアリングを設立しました。

レーシングカーメーカーになる

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
マーク6 マーク6の成功で、十分な資金を調達できました。より軽いシャシ、より洗練されたボディを持つ新しいレーシングカーの開発を始めます。本格的に空力を考慮したボディの開発は、フランク・コスティンの手にゆだねられました。コスティンは、開発・生産エンジニアとして創成期のロータスを支えることになります。かくしてマーク8が生まれました。
マーク6の成功から自動車製造販売組合に加入し、正式に自動車メーカーとして認知されました。アールズ・コート・モーターショーに出品が認められます。
このショーにマーク8の発展型であるマーク9のベアシャシを出品。発展系としてマーク10そしてイレブンまで開発しています。
イレブンは1956年のシリーズ1、1957年のシリーズ2と総計して270台が製造されました。

GTカー(市販車)も手がけるメーカーに

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
エリート 自動車メーカーとして認められたこともあり、市販車の販売にも力を入れるようになりました。レース活動で培ったFRP技術を駆使し、フルFRPのモノコックボディを持つエリート(マーク14)をリリース。
マーク6をキット化し、クラブマン向けレーサーとして販売したマーク7。
英国フォードのファミリー向けセダン“コンサル・コーティナ”にロータスチューンのエンジンを載せたロータス・コーティナ。



エランの誕生

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
エランS1 初代エランの開発コードネームはロータス26。ロータス製GTカーとして初めて作られたロータス・エリートの後継車です。ただ、エリートの特色だったFRP製のモノコックボディは、生産性の低さとこもり音などの問題がありました。さらに販売戦略上オープンモデルの生産が必要だったため、プレス鋼板を溶接して組み立てた強固なバックボーンシャシ+FRP製ボディという方式を採用しました。
この構造は、デファレンシャルノイズに悩んでいたチャプマンが、ライバルだったトライアンフ・ヘラルドのシャシ構造にヒントを得て考案したと言われています。トライアンフ・ヘラルドは、チャプマンを悩ませていたデファレンシャルノイズを見事に解消していたのです。 出典: https://lotuselan.wordpress.com/elan-in-depth/
エランのバックボーンフレーム これ以降のロータス車の多くに、このY型のバックボーンフレームが採用されました。エランはこの構造を初めて採用した車です。
エンジンは英国フォードのコルチナ用をベースにDOHC化した1,500cc(シリーズ2以降は1,600cc)。
当初のモデル、通称“シリーズ1(S1)”はオープンボディのロードスターのみ。完成車で1,495ポンド(キットカーフォームで1,095ポンド)という低価格で、DOHCエンジンによる高性能と卓越した操縦性から大ヒット作になりました。
1965年にはS2に進化し、“フィクストヘッドクーペ・FHC(頭が閉じられたクーペ)”モデルが登場しました。オープンモデルは“ドロップヘッドクーペ・DHC(頭が落とされたクーペ)”と呼び分けられました。
1966年にはS3に発展しました。対候性改善のためDHCにウインドウサッシュ)窓枠)が取り付けられました。 全車にパワーウインドウが装備されます。ロータスによると「手動式より軽い」というのが理由です。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%B3
エラン+2 1967年には“ファミリーカーとして使えるロータス”という触れ込みで、2+2のエラン+2(プラスツー)も追加されました。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%B3
エラン・スプリント 1968年にはS4に進化しました。北米向けに排気ガス規制に対応するために、ストロンバーグキャブレターを採用。大型のキャブレターを避けるために、ボンネットに大きな膨らみが追加されています。
1971年にはウエストラインでの上下塗り分けを特徴とした“エラン・スプリント”が追加されるなど、安全対策や装備充実を中心に発展を続けました。
1973年に2シーターモデルの生産を終了。続いて+2も1975年に生産終了しました。最終的な出荷台数は2+2も含めて18,000台といわれています。
エランがデビューした当時の日本では、1963年に第1回日本グランプリが開催されるなどモータースポーツの勃興期でした。エランは当初は芙蓉貿易、後に東急商事の手で輸入され、浮谷東次郎、滝進太郎、三保敬太郎らレーシングドライバーによってレースで活躍したのでした。俳優の伊丹十三、作詞家の保富康午も当時エランのオーナーだったそうです。

2代目エラン

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%B3
2代目エラン テールランプはAE86用を流用 初代エランの終焉から15年、エランの名前が復活しました。デザインはロータス・エスプリのモデルチェンジを手掛けたピーター・スティーヴンス(Peter Stevens )。2代目エランは、エスプリを前後に圧縮して屋根を切り取ったようなデザインです。
1986年以来、ロータスはゼネラルモーターズの傘下でしたので、エラン開発に当たりGMグループ及び提携各社のコンポーネンツを用いることが要求されました。エンジン/ギアボックスユニットはコンペティションが実施されました。
コンペでは三菱ミラージュのサイボーグ・エンジンといすゞ・ジェミニ(JT190/191)のDOHCエンジン4XE1が残り、最終的には4XE1を日本の小山ガレージでライトチューンしたものが採用されたのです。
室内の機能スイッチなどはオペル製を採用。
当初、FFユニットを流用したミッドシップも検討されましたが、エンジンコンペが実施された頃にはFWDに決定していました。これは開発コストの圧縮だけでなく、ロータスの経営戦略上の選択でもあったと言われています。自動車メーカ各社からの委託研究業務もロータスの重要な収入源だったので、FWDの技術レベルを示す必要があったのです。
実際、FWDエランの操縦性は、他のFWDスポーツハッチのセッティングとは明確に異なります。ソフトなばねで執拗にグリップする高度で難解なハンドリング、LSD(リミテッド・スリップ・デフ)のないFWD車でありながら実現された高いトラクションは、今日でもFWDスポーツのハンドリングにおいて規範のとなるほど洗練されていました。
当時エンジン供給元であるいすゞ自動車を訪れたロータスの技術者が、「A地点からB地点まで最短距離で移動する場合は、恐らくロータス史上最速のクルマだろう」と語ったそうです。

強度・耐久実験が実施されたのは2代目エランが初で、このクルマの開発で構築した試験方法や強度・耐久基準は、後のロータス各車の大幅な信頼性向上につながりました。しかし、ロータス史上前例のない高い信頼性とハンドリングを獲得したにもかかわらず、FWDレイアウトに対する保守的なスポーツカーファンからは否定的な反応が多く、主力市場のはずだった米国での景気後退の影響もあり、2代目エランは商業的には失敗作といえるでしょう。
1992年までに3,885台が生産されたところで、3,600万ポンドの累積損失とともに一旦は生産終了しました。
1994年、GMから経営権を買い取ったブガッティのロマーノ・アルティオリのもとで復活し、S2モデルとして800台が生産されました。
その後、生産設備一式は韓国の起亜自動車の手に移り、キア・ビガートの名で1996年から1997年まで生産されました。エンジンは起亜製の1800cc/135馬力にパワーダウンし、サスペンションは英国に比べ劣悪な舗装の韓国に合わせ、車高UPを含めたセッティングの見直しが図られています。このサスペンションのリセッティングは、起亜ではなくロータス社が担当した為、ロータス独特のハンドリングはビガートになっても健在でした。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88
キア・ビガート



まぼろしのエラン

2010年パリモーターショーにおいてロータスより5台のコンセプトカーが発表されました。その中の1台に“エラン”の名前が付けられ、2013年に販売予定と説明されていました。ですが、その後エランを含め発表されたコンセプトカー5台全ての販売計画は生産前に中止となってしまいました。

日本での活躍

浮谷東次郎とエラン

出典: http://www.ne.jp/asahi/beans/web2/cm/ccc1.html
日本でエランの活躍と言えば、浮谷東次郎その人でしょう。元々はトヨタスポーツ800で活躍し、プライベートでも ホンダS600を改造したマシン、通称“カラス”(改造用ボディパーツを製作したのは『童夢』創立者の林みのる氏)でレースに出場し、1965年5月の第2回クラブマンレース鈴鹿大会で優勝しました。
同年7月18日に船橋サーキットで行われた全日本自動車クラブ選手権では、トヨタスポーツ800でGT-1クラスに参戦。4周目の最終コーナーで2位争いをしていた生沢のスピンに巻き込まれ、右フロントのフェンダーを凹ませてしまいます。タイヤを傷つけないためにスロー走行を余儀なくされますが、ピットでの応急処置後は鬼神のような追い上げで各マシンをごぼう抜き、23周目で生沢を捕らえ最終コーナーでトップに立つと、そのまま2位以下を引き離し見事優勝したのでした。このレースの前に、式場壮吉が主宰するレーシングメイトからロータスレーシングエラン(26R)でGT-2レースに参戦して、プリンス自動車のスカイライン2000GT-Bなどの強豪を相手に、安定した走りで終始他を圧倒して優勝しました。このときから、浮谷とエランの名前は一躍知られることになったのです。

トヨタ2000GT、ユーノスRoadster

出典: http://park3.wakwak.com/~tonupboy/car/2000gt/sys.html
これはトヨタ2000GTのイラストです。エランのフレームにそっくりですよね。このように、エランで採用されたY型バックボーンフレームは多くの車の設計に影響を与えています。
出典: http://www.autoexe.co.jp/kijima/column3.html
こちらは、ユーノスロードスターのフレームです。モダンにデザインされているものの、基本構造はほぼエランを踏襲しているのがわかります。
素晴らしいのは、ミッションケースをフレームの一部として利用していますね。
バックボーンフレームをY型にすることで、フロントエンジンながら前輪軸よりも後ろに配置できるので、ミドシップのような重量配分が実現できるのです。

最後にまとめ

いかがでしたか。そのハンドリングを“オン・ザ・レール”と称される、究極のコーナリングマシン。600kgという軽量かつコンパクトなボディに、OHVをベースにロータスがDOHC化したエンジンの組み合わせは、格上の2.0Lクラスの車輌をも抜き去るポテンシャルを見せつけました。
ロータスの真骨頂、“ライトウェイトスポーツ”の代表格がエランなのです。