観光資源を生かした掛川⁉実は見どころに深い意味が

掛川はそれなりの歴史的な拠点ながら、大きな都市でも著名な都市でもありません。「つま恋」という伝説を持つリゾート施設は有名ですが、つま恋が掛川にあるということは知らないかもしれません。新幹線駅や東名高速のインターチェンジの誘致に成功して、優れた街並みづくりをするなど、実はパワーあふれる街、知られざる魅力を紹介します。

掛川で観光ならつま恋!?だけではなくなってきました

新幹線の新駅誘致の成功やインターチェンジの建設などを成功させてきた掛川市です。国道1号線掛川バイバスも完成して社会インフラの充実が売り物で、すっかり工業都市になりました。これほどのヤリ手都市も珍しいのではないでしょうか。

2002年ワールドカップの静岡の会場エコパも隣の袋井市との市境にあって、所在は袋井市ながら新幹線の止まる掛川駅がシャトルバスの発着場になっています。今でもエスパルスのホームゲームが行われる時には掛川駅が発着場です。車でエコパに出かけるのも掛川インターチェンジが最寄りとなります。

そうやって、新たに人が集まり始めた掛川ですが、歴史的建造物を生かす取組みとして、日本最初の例となる木造復元天守が出来上がり、市街地までも城下町の装いを取り戻そうと建築規制を加えて、街まで歴史の色に塗り染めようという試みは継続中です。

そんな勢いもあって最近では掛川花鳥園なども新たに名を知られてきていますが、かねてから、掛川といったらとても有名なものもあって、それが「お茶」とリゾート拠点の「つま恋」ではないでしょうか。
音楽好きなら特に聞いたことがあるでしょう。著名な巨大ロックフェスティバルの舞台としてたびたび登場して、伝説を作って来た聖地です。
音楽だけでなく、レーシングカートの聖地でもあります。ヤマハの施設、つま恋のカートコースは伝統のコースとして名勝負を沢山生み出してきました。
自動車で出掛ける総合リゾート拠点としては全国的にみても有数の施設です。
ただ、掛川にあるということは、あまり知られていないかもしれません。なんとなく静岡の西のほうにあるという認識なのかなと…。

ところが掛川の街は相変わらずの魅力あるつま恋に加えて、車ででもわざわざ出かけてみたい市街地の魅力が赤丸急上昇中なのです。住民参加で続けられている取組みですから息長く、継続してやっと結果のでるようなことですが、かなりの成果をあげて、さらに進行中です。

街づくりの手本となり得る掛川の市街地事業

日本のほとんどの大都市は明治維新後の文化の西洋化に伴って、伝統的な建築を捨て去る方向となっています。地震国ですから火災への対策を考えると従来の木造では心もとないこともあります。そして第2次世界大戦はほとんどの都市がアメリカ軍による無差別虐殺の焼夷弾攻撃を受けて灰燼に帰しています。
戦争そのものにも負けてしまい、ボロボロの中から必死の復興をする過程では、都市計画も何もありません。
基本的に今の日本の都市はバラックを基本に持つバラック都市なのです。例外的に名古屋市など近代的な都市計画が成功していますが、ほとんどは付け焼刃的な発展となったのは致し方ない面もあります。

ほんの田舎町でしかなかった掛川では、このような事情はあまり関係のないことですが、都市計画の不在、流通する資材の質、建築業者のマインドは掛川に限らず田舎町の戦後の発展にも影響していますし、なにより行政が市街化調整区域を無秩序に拡げてしまう抜け穴を問題視せず、農地解放によって小作人に与えられた土地が転用されるのにも関心を払いませんでした。

ほとんどの行政の関心はもっばら、だらしなく拡がる市街地に道路や下水道を張り巡らせて土建屋への便宜をはかって仕事をした気になることばかりでした。
この過程では街が効率的に機能することはなんら省みられず、例え小さくても必要な都市として哲学は置いておかれて来たのです。
その結果として、まるでアメリカのような郊外型ショッピングセンターの台頭を招き、旧市街地の形骸化となって街が寂れることになっています。

幸いに掛川市には歴史的な資産がありました。城の再建をきっかけに城下町を復興させようという試みを始められたのです。掛川市では城下町風街並づくり事業(地区計画)補助金があって交付基準を定めています。
狭い土地の共同化、公道からの1メートルのセットバック、掛川城の景観への配慮、マイナスイメージの用途の排除(警察公認の賭博などの事かと思われます)、城下町風の形態、ファサード、色彩、素材の推奨、広告物など付属するものへの制限などが基準になります。
無秩序に市街地を拡げれば街としての機能は低下します。街とは集積による効率と同義語です。だから商業も成り立つのです。無秩序に街をひろげ、そこに道路や下水道を整備しようとすればおカネがいくらあっても足りないのは当たり前です。それではおカネはどぶに捨てられて、利権以外の何も生み出しません。
ところがこのような施策で街づくりをすれば、その投資は資産となって価値を生みます。

街と農地を分けて、それぞれの機能を追求するのは当たり前のことなのですが、できているところは少ないです。掛川では魅力あって、車で流すだけでも魅惑される街があって、お茶を始めとした農業があって、奇しくも工業団地の整備にも成功して出荷額は県内の大都市に次ぐものになっています。

どうやら掛川には見事なリーダーシップがあるようです。



掛川の歴史と観光

天下のNHK大河ドラマの主役となり一躍名を馳せた山内一豊。トップになりも近づきもしませんでしたが、主君が暗殺されたり、滅亡したりしてもしっかり生き残って、家を隆盛に導いたしっかりものとして評価が高いです。
その山内一豊の領地といえば、現在の高知県、四国の土佐藩です。幕末には大政奉還に大きな役割を果たす山内容堂を生みます。

ただ土佐は関ヶ原の乱の後に、功績により与えられた地です。それまでの豊臣家の家臣時代に収めていたのがこの掛川の地。現在復元された天守閣はこの時代のものだといわれています。
そしてこの城は関ヶ原の戦いの時に山内一豊の立場を固めるために一役買っています。石田三成の挙兵を聞いた時、山内一豊は上杉討伐に向かった徳川家康の軍に参加していて、時は風雲急を告げたのです。

明治時代に政府の軍事顧問としてやってきたドイツ人が関ヶ原の戦いの布陣をみて、西軍の勝利と分析した話があります。この時点では決して徳川家康に有利な戦況ではなく、大義も多く残る豊臣方とどちらにつこうか迷うものも多かったとされています。
なにしろ山内一豊が配置された掛川は徳川家康の元支配地域です。しかも武田家との駿河を巡る争いの最中でも掛川は家康の領土だったのです。
かつての律令国としては掛川は遠江の国に属しています。駿河国との国境は大井川です。武田と徳川の争いでは掛川のあたりは勢力入り乱れる激戦地でしたが、掛川は徳川方が守り通した地なのです。

会津の上杉討伐の中止と豊臣方との戦いを決める下野の小山評定ではいち早く、家康にとっていわくのある掛川城の提供を申し出て山内一豊は立場を固めたといいます。

こうした決断の結果、大幅な加碌となる土佐を手に入れることになったのです。

掛川観光の中で意義は深い再建掛川城

関ヶ原の戦いを経て、土佐に入った山内一豊は高知城を建設します。当時は河中山城(こうちやまじょう)と名づけられた城は完成後火災にあって消失してしまいますが、程なくして再建となり寛延2年(1749年)完成すると明治の廃城令や第2次世界大戦の空襲からも難を逃れて現在も残っています。
このような天守閣を現存天守といい全国で12城のみ、さらに本丸が全て残っているのは高知城のみといわれます。
高知城は掛川城をモデルに建てられたといいます。火災の後の再建時も同じ形で再現されたといいます。
このため復元再建された掛川城の天守閣に関しては高知城の様式もかなり参考にしているといわれています。

たしかに城郭ファンが掛川城をみれば高知城そっくりだと思うことでしょう。ただ意匠的にはこちらのほうが先なのです。

掛川城天守閣の復元再建は最初の木造復元天守に当るとされています。建設当時の図面や記録から、材料、工法など忠実に作られているという意味ですが、実は詳細が不明な点は山内一豊が高知城を掛川城と同じように作ることを指示したことが分かっているために高知城を参考にして作っています。
そのため正確に考えれば再建掛川城天守閣の意義はかつての掛川城がどのようなものだったかではなくて、この時代の城の様式がどうだったのか正確に知ることができるというものだということになります。

ただ掛川城の遺構は無くなってしまっていた天守閣だけではありません。文久元年(1861年)に再建された二の丸の掛川城御殿は今も現存していて内部も公開されています。
御殿とは公式な藩の行事を行う場、藩主公邸、藩主の仕事場となっています。現存する御殿で最も有名なのは京都の二条城で、他にはやはり高知城、そして埼玉県の川越城も一部ですが残っていて遺構はもはやこれだけなのです。

江戸時代の様式を今に伝える7棟の書院造の掛川城御殿こそ掛川の歴史的建造物を拝観する観光のメインイベントといえるでしょう。

掛川観光の主役 つま恋 概要

つま恋といえば、ヤマハの施設だけあって音楽とカートの聖地として名高い場所です。かつて開催されたポプコンでは、ここでは挙げきれない歌手がデビューのきっかけをつかみました。
代表をあげるのが難しいくらい著名な人ばかりですが、あえていうなら中島みゆき、チャゲ&飛鳥、あみんなどでしょうか。
以後も大規模コンサートの会場として著名アーティストが公演を続けています。

レーシングカートのコースは伝統ある名門コースとして全日本選手権の舞台にもなってきたコースです。
著名イベントが開催されるだけでなく、アーチェリーについてはナショナルトレーニングセンターに指定されています。

そして何よりリゾートとしての充実ぶりが素晴らしく、まさしく全国的に見ても有数のリゾート拠点といえます。

つま恋で楽しめるのは、テニス、乗馬、水泳、アーチェリー、レンタルカート、釣り、ゴルフ、卓球、バドミントン、ドックランなどなど。マルチパーパスのコートやグランウンドを備えていますから他にもかつようできます。
競技に限らずアミューズメントも一杯で、夏のウォーターパークはかなりの規模ですし、サイクルカートなどの自転車系、ゴーカートやバッテリーカート、レーザークレー射撃、キックターゲット、トランポリンにカラオケ、麻雀まで遊びきれないほどの多彩さです。
中でもトレージャーハンティングという金属探知機でお宝を探すゲームは景品も獲得できて楽しくておすすめです。芝そりのゲレンデも豪快で小さな子供から大人まで堪能できるでしょう。

もちろん、リゾートの基本の宿泊施設も立派なものです。サウス・ウィングとノース・ウィングふたつのタイプのホテルがさまざまプランを用意してくれています。
食事はビュッフェテラスの他、フランス料理のベルフイユ、ステーキのジャルダン、和食の橘、ランチバイキングのパークハウス、カフェのWienなどお好み次第で選び放題です。
日帰りでも使える温泉施設は森林乃湯、掛川つま恋温泉を利用します。行く種類かのお風呂の他にはマッサージなどの他、ここにも簡単なお食事処が用意されています。
伝説を生んだコンサートホールや音楽施設の利用も可能です。音楽合宿のメッカでもありますし、宴会や結婚式などのパーティ、会社の研修や会議などで訪れる人も多いようです。
ちょっと面白いのはタミヤのミニ四駆のレースでしょうか。大会にはいろいろな特典がついていたりします。

ヤマハリゾートつま恋
入園料は大人(中学生以上)1,000円、小人(小学生)500円、幼児(小学生未満)無料です。入園した後はアミューズメントの使い放題チケットやセレクトチケットなどがお得に利用できると思います。ぜひ検討してみて下さい。日帰り入園の営業時間は 9時~18時。年中無休です。

森林乃湯 
入館料大人(中学生以上)1,030円、小人(小学生)510円、幼児(小学生未満)無料
タオルセット210円タオル・館内着セット310円
営業時間 平日11時23時(最終入場22:30)、土日祝10時~23時(最終入場22:30)

静岡県掛川市満水2000
駐車場は沢山あります。北ゲート800台、南ゲート1,200台、ホテルには宿泊者専用で用意されています。料金はすべて無料です。



掛川へはアクセスよく、快適なドライブができます

東海道の激動の歴史がつづられる街でもありますし、今、優れた施策で勢いのある街でもあります。全国的に見ても有数のリゾート拠点、ヤマハリゾートつま恋もなかなかの充実ぶり。

掛川の観光の魅力を知って頂けたでしょうか。お茶どころだけではない掛川の魅力にふれに、ぜひ旅立ってみて頂きたいと思います。開通した新東名に限らず、静岡県内の国道1号線バイパスはかつての有料道路が全て無料開放されています。アクセスは素晴らしい場所です。