金字塔を打ち立てたマツダ「ファミリア」は、ファミリアバンがスタートだった!

2004年、惜しまれながらセダンやステーションワゴンの生産を終了したファミリア。マツダではキャロルに次ぐご長寿シリーズです。5代目では百万台を超えるセールスを記録していますが、シリーズの原点は意外にも「ライトバン」。ファミリーでドライブに行くために「ファミリア」と名付けられたクルマに一体何があったのでしょうか?

オート三輪メーカーから乗用車メーカーへ。マツダの挑戦

東洋工業(現マツダ)は、戦前からダイハツと並ぶオート三輪では巨大メーカーでした。戦後の物資不足や朝鮮戦争特需の中で日本国内の陸送の主役だったオート三輪もやがてトヨタなどの小型四輪トラックの台東で次第に、主役の座から引き下ろされていきます。これに対応すべく東洋工業もダイハツも四輪自動車の製造に舵を切ります。そこで最初のターゲットはロンパーにはじまった小型トラック。そしてスバル360に代表される国民車的ポジションを狙ってR360クーペを開発します。しかし、R360クーペは2シータだったということもあり、スバル360の壁を撃ち破ることができずにいました。

東洋工業は、更なる飛躍のため小型車開発を2系統で検討します。一つは軽自動車(定員4人)、そしてもう一つは小型自動車です。この段階では、軽自動車をキャロルとして販売することが優先されました。その理由は「時期尚早」。R360クーペで既に軽自動車の開発ノウハウを掴んでいたこともあり、小型乗用車よりも優先されたのです。そして時期尚早とされた小型乗用車が後の「ファミリア」です。



初代ファミリア登場。それはファミリアバン

そして、1963年9月に発売されます。この名前の由来はイタリア語の「家族」。ファミリーで楽しくドライブに行くためのクルマとして送り出されたのです。

このファミリアは既に1961年の第8回東京モーターショーで「マツダ700」として出典されていたのですが、先程も書いたように「時期尚早」として発売が見送られていたのです。東洋工業は小型乗用車の開発にあたって市場調査を行い、セダン・クーペなどからどのボディタイプに需要があるかを予め判断し、その調査で得られた結果は「ライトバン」でした。

ここでマツダは、ある選択をします。それまでトラックには、工業デザインの第一人者「小杉二郎」が、乗用車にはイタリアのカロッツェリア、ベルトーネが担当してたのに、ファミリアは入社間もない若手のプランを採用しているのです。これは、社内でのデザイン能力を育成が将来のマツダの発展に必要だということからの判断でした。

この時に採用されたエンジンは、キャロルでも使用された「白いエンジン」とマツダが呼んだオールアルミ製エンジンを搭載しています。これは出力42馬力の782cc水冷OHV直列4気筒で、ショーに出品したものよりも約100ccの大型化が行われています。

ファミリアにセダン、クーペ追加!ファミリカーとしてのステージに

そして、1964年、ファミリアが本当の意味でファミリーでドライブに行くためのクルマになります。やっと4ドアセダンがトラックと一緒にラインナップに追加されたのです。セダンは、それまでのバンのフロントマスクを改良し、バンとの差別化を図っているようです。また、エンジンは1,000ccOHVと白いエンジンの高性能版を追加、更に2速のオートマチックも選択できるようになるなど、ファミリードライブでのオーナーを想定した改良が行われています。

続く1965年、クーペが追加され、こちらにもクーペとしての変更が加えられました。マツダが「流麗さと野趣をあわせもつスペシャルティカー」と位置づけたボディタイプには、新型の1,000ccSOHC直列4気筒エンジンを搭載し、68psのパワーを与えました。このことで最高速度は145km/h、0~400mの加速も18.9秒となかなかの韋駄天ぶりを発揮しています。

この初代ファミリアは輸出にも回され、その存在をアピールするため、そして性能の実証のため、海外レースにも参戦しています。1964年11月はオーストラリアのニューサウスウェールズでの耐久レースに参戦、バンがクラス優勝。そして66年は、シンガポールとマカオのツーリングカーレースへも参戦しています。これらで得た経験は、マツダにとって、その後のル・マンへの挑戦にも繋がる大きな糧にとなっています。



マツダを支えた5代目ファミリア

こうして、マツダにとっての屋台骨となっていったファミリアは1980年発売の5代目になると「革新的なクルマの誕生」とマツダが呼ぶ大きな成果を得ます。FF化された5代目は、グレードXGには電動サンルーフが標準装備されるなど、特に若い人たちに指示され、第1回日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車に輝き、月間販売台数が13,000台オーバー、月間販売台数の首位獲得、発売後27カ月で販売台数100万台突破(これはGMシボレー・サイテーションの29ヶ月、VWゴルフの31ヶ月よりも短い世界最短記録でした)もしています。また、走りの実力もなかなかで、WRCモンテカルロ・ラリーではクラス優勝を果たしています。

これほどの成果、特に商業的な成果は1970年代末からのオイルショックの中で、苦境にあった自動車産業、特にマツダにとっては大きな救世主でもあったのです。

ファミリカーとしてのファミリアの最終版「9代目」

ファミリアがファミリー向けの車両としての役割を終えたのは9代目のことでした。1996年、従来から協力関係にあったフォードの傘下に入り、経営の立て直しが迫られる中でモデルチェンジを行った9代目ファミリアは主要パーツをカペラと共有して1998年に誕生します。このパーツ共有は開発費の節約のために行われましたが、その一方でスタンバイ式、フルタイム式の4WDがラインナップされ、ライバルのインプレッサ・スポーツワゴンと同様のショートワゴンとなる「S-ワゴン」が追加されるなど意欲的なニューファミリアとなりました。しかし、この車体は2003年に「アクセラ」の誕生に伴ってセダンの生産が終了し、2004年にはS-ワゴンの生産も終了します。

まとめ

現在も「ファミリアバン」としてファミリアの名前は残されていますが、日産ADのOEMのため少し寂しい気がします。いつの日かまた、若者が喜ぶような仕掛けを満載し、またファミリーでドライブに行きたくなるファミリアが復活してくれる日が来て欲しいですね。マツダさん、よろしくお願いします!