ホンダプレリュードは独自技術の前奏曲!?4WS秘話を大公開

ホンダプレリュードはかつて、とても人気のあった2ドアクーペです。なぜそんなに人気があったのかといえばスタイルに尽きます。スタイルのためにものすごく無理なことをやってのけたりもしました。思い起こせば技術的なチャレンジはそれにつきません。代表的な機械式4WSについてもみてます。

2ドアクーペってなんなのだろう

一世を風靡したもののの今ではなくなってしまったプレリュードは4回のフルモデルチェンジがあって5つの世代があります。一貫していたのがどれも2ドアクーペという形をしていたということです。

ドアがふたつしかないのは前列の二人分のシートが主役だから。基本は二人のための車で、当時の標準形のセダンに比べれば贅沢な考え方になります。考え方によっては後席の分のスペースを省略しているとも捉えられます。後席を一番大切に考える極端な例としてショファードリブン(お抱え運転手用の車)があるとすれば、その対極の車です。

こんな時何といったらいいのでしょうか。パーソナルカー? ではまるでPC(パソコン)です。当時はスペシャリティカーなどといっていました。二人のためのという意味ならデートカーなんていいかたもされていましたね。

プレリュードの絶頂期、スペシャリティカーやデートカーとしての時代ならば、双璧をなすのがトヨタのソアラとホンダのプレリュードでしょう。
この頃はお金を持っていることを表すアイコンはもっぱらいわゆる「外車」の時代です。外車に対抗するべく、値段もそれなりであくまで高級な車だったソアラに対してプレリュードが主張した価値はカッコよさ。
世界金融資本の思惑で政治家たちも奔走してすっかり階層社会が板についてきた日本では、もはや若くてもお金がなければステイタスはありません。でも、かつては中産階級が元気でほとんど誰もが頑張れば成長した未来が夢見られた時代がありました。

そんな時代には素直にカッコいいものが価値があるんだ、値段じゃあないよといえる空気があったのです。プレリュードはどちらかというとそんな価値観を持った人に受け入れられた車でした。



プレリュードの変遷

ホンダプレリュードはかつては世界で似ている車が存在しないとてもユニークな存在でした。登場したのは1978年のことです。CVCCエンジンのシビックが時勢に乗って大きな評価を得てハッチバックにすっかり市民権を与えたのちに、少し上級車となるアコードが発売され、ハッチバックにセダンを加えていました。

そののち、さらなる車種展開で発売したのが3ドアクーペの初代のプレリュードです。イメージは当時のシビック、アコードの面影を残しますが、独立したトランクと2座の補助的な後席を持つ4人乗りのまさしくクーペの様相をしています。
当時としてはスポーツカーとして捉えられるのに充分な形で走りを相当に意識した車です。ホンダがFFながら確かなハンドリングに対する評価を得た最初の車といえます。

4年後の1982年にフルモデルチェンジとなるのですが、2代目のプレリュードは驚きをもって迎えられます。
フロントにはダブルウィッシュボーンサスペンションが奢られて、ヘッドライトはリトラクタブル、そして全体のシルエットは世界のどの車にも似ていません。そしてオプションながらABS(アンチロックブレーキシステム)として4wA.L.Bを日本で最初に搭載してきたのです。

1987年のフルモデルチェンジは先代のイメージを残しながら低かったノーズをさらに低くミッドシップでフロントにはなにもないフェラーリなみに下げてスタイルを追求してきたのです。このスタイルは大人気を博した先代から一層の名声を獲得してプレリュードの絶頂期を築きます。
このノーズは無理やりエンジンを後傾させて実現されていますが、この世代のプレリュードはVTECこそ搭載されていませんが、すでにホンダエンジンのパワーとスムースさは定評になっていて無理な設計の影響はありません。
ただ前後ダブルウィッシュボーンサスペンションを採用したものの特にフロントはまったくサスペンションストロークが足りず、あらゆる場面で接地性に問題が起こり、デザイン優先の弊害は見られます。この問題をホンダが真剣に考えるようになるのはずっと後のことです。

順調だったプレリュードですが、3代目の後半は急速に人気がしぼんでしまい、1991年の4代目はかなりイメージを変えてきました。後にVTECを搭載したりクーペ人気の終焉を踏まえてスポーツ色が濃かったのですが、ホンダという会社自体が1994年のオデッセイに救われたようなものです。こののちホンダを支えるのはミニバンという状況になっていきます。

1996年の5代目はかなり3代目を意識したデザインに戻ったのですが、もはやデザインのために走行性能を犠牲にすることなど許されず、どことなく中途半端なことも否めません。こうして人気は回復することなく2001年に歴史は閉じています。

ホンダの先進技術の前奏曲に

プレリュードには日本で初めてという技術(中には世界で初めても)が搭載されてきました。車名のとおりにまさしく前奏曲(プレリュード)として機能していました。初代の電動サンルーフ、2代目のA.L.B、3代目はなんと世界初の機械式4WS、5代目でさえATTSと日本初となる先進の機構を搭載してきました。中でも特筆ものの機械式4輪操舵についてお話したいと思います。

世界初の機構、機械式4WS(四輪操舵)

いまでも自動車は基本的に前輪を操舵することで旋回のきっかけをつかんでいます。旋回が始まれば慣性が働きますが、その間ずっと後輪は抵抗となっています。なぜかというと後輪は相変わらず前にまっすぐ転がっているだけだからです。
この抵抗になっている後輪も操舵すればよい旋回性能が得られるのではないかというのが4WS(四輪操舵)の最初の発想です。

4WSそのものは小回りをよくするための発想として後輪を前輪と逆に切ればいいのだということは知られていて作業車などで例はあったのです。

ホンダではシビックやアコードが順調に売れ出した頃、佐野彰一さんが4WSによってタイヤの能力をもっと生かして、ひいては安全性に関与できないかと発想をもったのです。
この頃、ホンダは自動車会社としてそれなりの体裁が整ってきたあと、いち早く自動車の安全性ということが強く意識され始めていたのです。

佐野彰一さんは見よう見まねで始まったホンダF1の車体エンジニアで、本場のレーシングコンストラクターのローラで共同制作をする機会を得て、大きなノウハウを持ち帰った人です。
それまでも後輪をエンジンに取り付けてシャーシの一部にしてしまうという発想を先駆けたりしていました。もっともこれはオートバイのエンジンを基に作った最初のF1エンジンがなんと横置きで、他チームのやり方では搭載さえできなかったための苦肉の策だったのですが。
また水冷F1と並行でつくられた空冷F1の設計者でもあります。こちらではこれまた苦肉の策の発想とはいえ、ドライバーのポジションを前に出して、エンジンとの間に冷却風を回すスペースを作って、ぽっかり空いたスペースには燃料タンクを、しょうがないから置くということを始めた人です。
ただ、この方式は今に続くF1マシンのスタンダードになって今にいたります。
また栄光のホンダF1第2期にもちょっとしたかかわりをしました。当初はまた散々だったホンダエンジンですが、第2期はどんどん開発が進みました。だいぶエンジンに自信がついたのですが、どうにもシャシーがいけません。
その時には第1期と違い、エンジン供給のみの参戦ですが、タッグを組んだウィリアムズのマシンはどうにもタイヤに優しくないのです。業を煮やしたホンダ側は佐野さんに様子をみてもらうことにしたのです。佐野さんは原因をひと目で見抜きますが、ウィリアムズというのはトップチームのひとつです。昔のF1のマシンを作っていたとはいえブランクのある佐野さんのいうことを聞こうとしません。
ただ、ここはホンダが頑張ります。なんとか佐野さんのいうとおりに改善させると、いきなりウィリアムズ・ホンダは勝ち始めるようになったのです。それ以来シーズンが終わるまで3連勝を飾りました。
次の年が念願かなってコンストラクターズチャンピオンを獲った年です。ピケ・マンセル・セナ・プロストの四つどもえの戦いの末、最終戦の大逆転でプロストのマクラーレンにドライバーズタイトルは奪われた1996年のことです。

エンジニアの出会いが僥倖

4WSをものにしようと佐野さんが発想した頃、ちょうど配属されてきたのが古川修さんです。古川さんはこの効果を計算できるような研究を大学でしていたのです。結果はいわゆる逆位相(前輪と反対方向に後輪を切る)だけではなく同位相に切っても良好な効果がありそうだと分かります。

この逆位相、同位相の問題ですが今では研究も進みコンピューターで計算できることもありもっと多くの知見があって電子制御の4WSに生かされているのでしょうが、ちょっと想像しただけでも複雑な問題なことは分かります。

単純に考えて4輪車の前輪と後輪が同じ向きを向いていて、4輪を同時に同じ力で回すことができたら横にでも、斜めにでもスムースに動くことでしょう。いまならばコンピューターで制御して四輪のモーターを回せば、できないことはないのかもしれないですが、それでも随分複雑なプログラムになりそうです。
もちろん、この当時もそれ以前も、そんな制御は無理ですから、後輪にかかる抵抗が無駄なものだとしても、操舵を前輪でしかやらない形で自動車が発展してきたのも無理はないのでしょう。

それから普通の自動車の目的はその場でくるくる回ることではないのですから、基本はやはりまっすぐ安定してスピードが出せるほうが大切です。それから集団になって走っている場合には、安全を考えれば車は真横に飛んでくるようなことはないほうがいいのです。
道路でいきなり割り込まれたときのことを思い出せば、よく分かることだと思います。

ニコイチのアコードで始まった実験

とにかく計算上では有効性が分かったので、アコード2台の前半分をつなぎ合わせたニコイチ車を制作してみました。
繰り返しますが今のようにコンピューターでシュミュレートできるような時代ではありません。
特殊なダイナモを探し出すとダイナモの上でもやはり効果は確認できました。
そこで今度はその車を高速で試験できる当時は谷田部にあったJARI(日本自動車研究所)の試験場に持ち込んでみます。
高速テストコースは、いまはツインリンクもてぎの近くの茨城県東茨城郡の城里町にありますが、この頃は現在はつくば市となっている谷田部のほうにあったのです。

すると回頭性はよかったものの、いわゆる曲がるためにはやはり逆位相が適していると分かりました。
こうして有効な4WSのためには同位相にも逆位相にも状況ごとに動かせなければならないというとても困難があることがはっきりしたのです。

低速の小回りを逆位相で、高速での旋回は同位相で行うとよいというのは、今では誰もが分かっている事実です。

佐野さんもすぐにこのために適しているのは舵角応答式にすればいいのだと気がつきます。注意すべきなのは車速のほうでなく舵角だったのです。

レーシングテクニックを発揮しなければならないような状況でははっきり分かることなのですが、旋回しようとする時のタイヤにはスリップアングルがつきます。4WSがうまく機能すれば少し解決されるはずですが、スリップアングルとはステアリングを実際切った角度と曲がった角度の差のことです。
当然ですがステアリングを切ったほどには車は曲がりません。
そしてスリップアングルは速度があがれば、あがるほど早く大きくつくことが分かっています。

スリップアングルが大きくついて思ったように曲がっていないからといって、さらにステアリングを切り増すことは意味がないだけでなく危険です。
もっともすでにこの状態はクローズドな環境でのみ許されることで(それでも許されないかもしれません)オーバーステアでスピンするのか、まっすぐ飛んで行ってしまうのかはその時の状態と操作次第で要するに手遅れです。

ともあれ大きな舵角を効かせたいと思うのならば適切な速度まで落とさなければならないので、後輪操舵で旋回をアシストしたいのならば、舵角の大きな時に逆位相、舵角の小さい時には同位相にすればいいのです。

苦難を乗り越えた世界初の機構

こうして前輪の舵角が小さいうちには同位相に少しだけ、前輪の舵角が大きくなったら逆位相に大きく動くコンピューターも油圧機構もいらない完全機械式の4WSのアイディアはできあがり、佐野さんはその機構もすぐに考案してしまいます。

ここまでのアイディアはすぐにまとまった佐野さんですが、量産化ではまた困難が持ちあがりました。
作り上げた機構は複雑なため組み立てによるクリアランスでガタがでるのをどうしても処理できませんでした。使っているうちに摩耗してきますからのちのち調整できる仕組みも必要です。

この部分は悩み抜いた末に画期的な方法を開発することができて、ここがホンダの特許となっています。
この仕組みは正直、正確に説明できません。詳細にご興味がある場合はぜひ調べてみて下さい。

こうして世界初の量産型機械式4WSが3代目プレリュードに搭載されることになります。
基本的にはとても優れた機構なのですが、慣れ親しんだ操作感と違うこと、4WSに求められて、ニーズがあるのは小回りではなく高速旋回時のアシストだったことなどから、結果的にはあまり普及はしませんでした。

ただし、この機構に刺激されて電子制御式の4WSの研究は進みます。今では重要な技術として高性能車にとても成熟した形で搭載されるものです。まさしくプレリュードとなった技術だったのです。



2ドアクーペそのものの人気は見る影もなく

現在の国産車の2ドアクーペは本当に限られています。日産のGT-Rやスカイラインクーペ、レクサスのRCなどですがどれも見たことがある人が少ないでしょう。86/BZRなら値段がまだ手頃です。こちらをわずかに見かけるだけでしょうか。

この中でもラグジュアリーなクーペはスカイラインのみ。この市場は完全に外国車のものに戻ってしまいました。ドライブを楽しむのにはもってこいの車です。果たして復権の日はくるのでしょうか。