【トヨタスポーツ800】昭和40年に生を受け、生まれはトヨタ育ちは横須賀。名は“ヨタハチ”と発します。

現代ならほぼ軽自動車の大きさの2シーター・オープン・スポーツカーのお話です。この頃、日本では爆発的なスピードでモータリゼーションが進みました。戦後の混乱から立ち直り、世帯単位での生活が営めるまでに経済状況が回復し、オリンピックを成し遂げた自信も加わっていたのでしょう。大衆車の出現とともに“マイカーを持つ”ことが実現可能な夢として語られました。そこへ現れた二人乗りのオープンカーがスポーツ800です。

これがトヨタスポーツ800です。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84800
これがトヨタスポーツ800です。なにやらかわいらしい雰囲気が漂っていますね。ボディサイズは全長:3,580mm、全幅:1,465mm、全高:1,175mmです。ちなみに現代の軽自動車の規格が全長:3,400mm、全幅:1,480mm、全高:2,000mmですから、全長が18センチ長いもののほぼ軽自動車サイズということですね。
このボディデザインについては諸説あるようですが、軽量化と空気抵抗の低減が“最重要課題だった”ことが1番の要因だと思います。
おかげで、航空機さながらの美しい流線型デザインを手に入れてています。



時代背景を少し

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
冒頭でも書きましたが、敗戦国である日本が戦後の混乱を抜け出し、本来得意だった“ものづくり”を基本に産業を立て直し、なんとか世帯ごとの生活が営めるようになってきたのがこの昭和30年代末期なのでしょう。
オリンピックの開催が決まり、爆発的なスピードで道路や鉄道の建設が進んだはずです。国家プロジェクトはたくさんの“仕事”を産みだし、まさに経済成長真っ只中だったはずです。
運送業や旅客業といった仕事の上で活用する以外は一部の富裕層における富の象徴でしかなかった自動車が、がんばれば手に入る価格になった“大衆車”の出現により“マイカー”を持つことが夢・目標になっていったのでしょう。
日本におけるモータリゼーションは、まさにこの東京オリンピックから始まったと言っても過言ではありません。

日本における自動車文化の成長は、戦後の占領時代も含めてアメリカ車の影響がとても大きいと言えます。大柄なボディにゆったりと座って移動する姿をうらやましく眺めていたことでしょう。

ライバルの存在

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ところが、そんな中にも異端児がいました。当時はまだろくに4輪をつくったこともなかった2輪メーカーのホンダが、F-1への参戦をはじめます。
国土の広いアメリカでは“たくさんの人や荷物を快適に運ぶ道具”であることが大衆車に求められる1番の要素でしたが、国土の余り広くない、山岳地もたくさんあるヨーロッパでは“操ることを楽しむ”ことも自動車にとって重要な要素でした。
ホンダのF-1進出は、日本にとって欧州の自動車文化にふれる機会にもなりました。
モータリゼーションの拡大にあわせて、大衆車の中にもスポーツ性能を求める声が高まったのは至極当然のことだったのかもしれません。
そしてホンダは、1963年(昭和38年)に“S500”という名の小さなオープン2シータースポーツカーを発表したのです。



ヨタハチが生まれるまで

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パブリカスポーツ(レプリカ) 当時トヨタが生産していた中では最小のモデルだった大衆車の“パブリカ”のエンジンとシャシを流用することを条件に、すでにトヨタの系列会社となっていた関東自動車工業が1962年(昭和37年)から開発に着手しました。パブリカ開発時の主査で後に初代カローラの開発でも主査を務めた長谷川龍雄氏が、この開発にも携わっています。
当初は“パブリカ・スポーツ”の名称で開発が進められ、非力なパブリカ用のエンジンで高性能を確保するために、航空機さながらに徹底した軽量化と空気抵抗の抑制が図られました。このためオープンボディにもかかわらず当時としては難易度の高いモノコック構造を採用しています。おかげで市販型でも重量は僅か580kgに抑えられていました。
風洞実験室などない時代に、関東自動車工業の回流水槽で研究を重ねながら空気抵抗の低減を目指した結果、徹底して丸みを帯びた全長3,580mm×全幅1,465mm×全高1,175mmという小さな2シーターボディが誕生しました。凄みは全くないものの大変愛嬌のある形状に仕上がっています。空力対策として、ヘッドランプをプラスチックカバーで覆った姿は、同社の2000GTのフォグランプ処理を思い浮かべますが、実際には相似を狙った訳ではないようです。

原型のスタイリングについては、日産自動車出身でダットサン・110/210やブルーバード310をデザインした佐藤章蔵氏が手がけたと一般に伝えられています。この当時は、すでに関東自工に移籍していました。ですが、長谷川龍雄氏が後年語ったところによると、現実のスポーツ800のデザインの大部分は長谷川氏と関東自動車社内スタッフとが手がけ、どちらかといえば直線的デザインを好んだ佐藤氏が寄与した部分は少ないとのことです。
対して関東自動車開発部門のプロパー社員でこの開発に携わった菅原留意氏は、開発企画自体が関東自動車側からの発案でトヨタと長谷川氏を巻き込んだもので、関東自動車側のデザイナー達が佐藤氏の主導で試作車デザインをまとめ上げたと証言しています(試作車に極めて近いデザインスケッチに佐藤氏のサインの入ったものが残されています)。
長谷川氏は元航空技術者で、第二次世界大戦中は軍用機開発に携わっていました。航空機寄りの試みは、ドアの代わりにスライド式キャノピーを採用したことからも伺えますが、さすがに乗降や安全性の面で問題があったため、市販車では通常型ドアとより現実的な“着脱式のトップ”との組み合わせが採用されました。
ポルシェ・911で同じ構造のルーフを“タルガトップ”と呼んだため、後年にはスポーツ800もタルガトップと呼ばれるようになりましたが、この採用はポルシェよりもトヨタの方が早いのです。

スポーツ800では、ほとんどのコンポーネントをパブリカからの流用もしくは強化で賄っています。フロントに縦置きトーションバー・スプリング&ダブルウィッシュボーン、リアはリーフ・リジッドというサスペンションの基本レイアウトもパブリカそのままです。ブレーキもそのまま前後ドラムでしたが、さすがにシフトレバーはコラムからフロアシフトに移されてれていました。
エンジンも、当初はパブリカ用のU型ユニット(空冷水平対向2気筒OHV・700cc)の流用が考えられていましたが、最高速度150km/h以上という性能確保には非力で、約100ccの排気量拡大とツイン・キャブレター装備によって、790cc・45ps(エンジン形式は2U型)を採用しました。それでも十分な出力とは言い難い状況でしたが、超軽量空力ボディの効果は大きく155km/hの最高速度を達成したのです。
同時期に登場したホンダ・S600(DOHCの高回転高出力エンジンを700kg級の車体に搭載)とは、対極的な発想に位置しています。

こぼれ話

とても軽量なボディのおかげで、思いの外燃費の良い車です。オーナーさんの話によれば、通常使用なら19.61km/Lとのことです。実際、サーキットでもこの燃費の良さが良い結果を呼んでいるいるようです。
ただし、空冷エンジンのためヒーターの効きが悪く、オプションでガソリンを燃料にしたバーナー式ヒーターを装着した車輌は、冬場の燃費は格段に悪くなります。

レースでの活躍

出典: http://www.ne.jp/asahi/ts800/hp/MAIN/etc/ukiya/toujirou.htm
日本で自動車レースが盛んに成りつつあった時期に販売された車ですし、ライバルと言えるホンダ・S600の存在もあって、“ヨタハチ”は日本国内の自動車レースで多くの逸話を残しました。
ジェット機のような音を発して疾走するDOHC4気筒エンジンを搭載し、とにかく速いですが重く曲がりにくく燃料を食うホンダ・S600に対し、「ポロポロポロ…」あるいは「バタバタバタ…」と気の抜けた2気筒エンジンの音を立てながら走るヨタハチ。
その軽さによって操縦性が良かったことと、燃料消費やタイヤ摩耗が少なく結果としてピットインの頻度を他車より少なくできるという意外な強みを発揮したのでした。更にピットインでエンジンを丸ごと交換するという荒技まで可能で、ピットインによるロスタイムが勝敗に大きく影響する長距離レースでは、その経済車という長所が大いに役に立ったのでした。
ヨタハチによる名勝負として伝説的に語られるのは、1965年(昭和40年)7月18日の船橋サーキットで開催された全日本自動車クラブ選手権レースでの浮谷東次郎の優勝でしょう。
1,300ccまでのカテゴリー“GT-Iレース”の序盤に、雨の決戦でホンダ・S600を駆る生沢徹のスピンに巻き込まれてクラッシュし、右フロントフェンダーにダメージを受けます。そのままではタイヤを痛めるため車体を復旧するためにピットインした浮谷のヨタハチは、一時16位にまで後退してしまいました。その後驚異的な追い上げで順位を一気に挽回、ついには先頭を走る生沢のS600を抜き去るだけでなく、さらに2位以下を19秒以上引き離し優勝したのです。

その後のヨタハチ

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84800
トヨタは1965年からハイブリッドカーの研究を進めていました。その試作車両として、1977年の東京モーターショーにスポーツ800のボディとガスタービンエンジン&電気モーターのハイブリッドシステムを組み合わせた“トヨタスポーツ800・ガスタービンハイブリッド”を出展しています。
外観上ではボンネットに大型のエアスクープを備える点が大きな違いですが、エンジン以外の内部機構ではトランスミッションが前進2速になっています。エンジンの公称出力はガソリンエンジン車とほぼ同等となっていました。

復活の兆し

出典: http://car-news.jp/archives/4041
2015年秋に開催された“第44回東京モーターショー”に、コンパクトFRモデルである“S-FR”が出品されました。
以前からまことしやかに噂されていた“ヨタハチ復活計画”の狼煙ではないかと言われています。

豊田社長が推進する“ワクドキ”を具現化した車で、クルマとの対話ができる運転好きだけをターゲットにしている訳ではなく、価格を抑えた手ごろなモデルとすることでエントリーユーザーにも乗ってもらいたい。
自分の意のままにクルマが反応し日常使いの中でもこのクルマを通じてクルマファンを増やすことをコンセプトの1つとしているとのことです。

駆動方式はFRで、カローラに搭載されている2NR-FKE型直列4気筒1.5LDOHCないしオーリスなどに搭載された8NR-FTS型1.2L直列4気筒DOHCVVT-iWインタークーラーターボをスポーツモデルにした物を搭載する可能性が高く、150万円前後の金額での発売を目指している模様。
トランスミッションは6速M/Tを搭載しています。
コンパクトなボディは画期的な軽量化を実現し、重量は1,000㎏以下を目指しているといいますから期待できそうですね。
スポーツカーとしてだけではなく、クルマとの距離を近づけるエントリーモデルならではのシンプルな構成を予定しているとのことです。
目指したのは、意のままに操れる軽快感とクルマと対話できる楽しさ、思い通りにクルマが反応し、クルマから返ってくる挙動を感じてコントロールできる楽しさ、FR(フロントエンジン・リヤドライブ)独自の心地よさ。
気になる燃費は、JC08モード燃費18m/L前後になりそうです。

手に入れるには

さすがに50年前の車ですから、中古車などは見つからないかと思いながらも某サイトを覗いてみましょう。なんとありましたよ!
5台だけですが、凄いことですよね。
えっと、値段がついているのは389万円(乗り出しで400万円)の1台のみ。
あとはすべて“価格応談”となっていますね。
どうしても気になる人は問い合わせてみて下さい。
レストア済みの場合は、相当な金額を覚悟してくださいね。

手に入れてからも定期的なメンテナンス(グリスアップなど)が必要ですから、しっかりと会話しながら乗ってあげる必要があります。
でも、複雑な構造は一切採用されていませんので、1個で15万円! なんて部品交換の心配はないと思います。
純正部品のストックは…わかりませんが、オーナー達が他車種要の部品で使えそうなものの情報を共有していたり、どうしても必要なものは少量生産しています。
オーナーズ倶楽部など、同胞を見つけて情報交換することが維持する秘訣ですね。

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最後に

奇しくも今年が生誕50周年を迎える年でしたので、各地で“生誕50周年記念イベント”が催されたようです。私の地元でもゴールデンウィークにトヨタ自動車博物館で行われていました。
知人の車輌も展示されたそうです。
街でたまに見かけると“こういうのも良いなぁ”と思うのですが、なかなか踏み出す勇気がありません。