【世界初】4WDを乗用車に適用した「スバル レオーネ」はスバル車の精神的支柱になっていた!

レオーネ。スバルの乗用車の代表といえば「スバル・レオーネ」をおいて他には無いというほどのシリーズでした。4WDで雪道や悪路に強いイメージのあったクルマは、その後のレガシーやインプレッサに引き継がれたスバルのイメージそのものです。今回は、「スバル・レオーネ」の秘密に迫りたいと思います。

4WD量産乗用車の魁「初代スバル・レオーネ」

「スバル・レオーネ」。その初代は1971年10月7日の発売でした。最初にラインナップされたのはDL、GL、GS、GSRの4グレードでクーペだけでした。と言うのも、このレオーネの先代とも言える「ff-1 1300」と併売されていたこともあって、絞りこまれたラインナップとなっていたようです。そのため、1972年4月に2ドアと4ドアのセダン(スタンダード、DL、GL、カスタム、スーパーツーリング、1,100ccモデルの6グレード)とエステートバンとされた(スタンダード、DL)がラインナップに追加されてff-1は販売を終了し代替わりが完了することになります。

初代レオーネのボディはロングノーズ、ショートデッキという日産(提携先)の影響を受けたスタイルで、当時のトレンドに沿ったものと言えるでしょう。また、メカニズムはブレーキをアウトボードとし、またスポーツモデルではステアリングギア比を遅くするといった形で、スバル1000、そしてスバルff-1に見られた「技術至上主義」の傾向を抑制して、一般的に乗りやすいクルマ作りが目指されました。この背景には、スバルの基幹とも言えるスバル360やサンバーそしてスバル1000と言ったクルマづくりに携わってきた百瀬晋六(後に「日本自動車殿堂」で顕彰)を、設計本部から技術本部に異動させたことでレオーネの設計には関わらせなかったことが、この方向性やクルマ自体の性格に影響を及ぼしていると言われています。ただ、この方向性は、従来からのスバルファンにとっては、歴代のスバル車両に見られたシンプルかつ機能的な美学が損なわれたと嘆かせる点でしたし、カーグラフィックなどヨーロッパ車を志向する自動車ジャーナリズムからの批判も招きました。

その一方でレオーネには窓枠のないサッシュレスドアを商用バンにまで採用し、つい最近の車両までスバル、富士重工にとってはシンボル的なデザインになるという新しい試みも見られます。そして、レオーネのエステーバンには1972年8月1日、エステートバンに4WDが追加ラインナップされます。この4WD仕様は、前年の1971年、東北電力からのリクエストに基いて数台ですが受注生産していた「1300Gバン4輪駆動車」での知見をベースにして「ジープタイプではない量産4WD」として、実は世界で最初に市販化された車両です。実際、それまで4WDといえば、ジープなどのクロスカントリー仕様のクルマをイメージするものばかりでしたが、乗用車のボディタイプには4WD車両は存在していなかったのです。レオーネの試みが一定の成功を収めたことで、他のメーカーの乗用車にも4WDが設定されていくという嚆矢となりました。

ハードトップもラインナップ

そして同1972年12月1日、専用のハードサスペンションと専用のクロスレシオ5速マニュアルトランスミッションを搭載したホットモデル「RX」が追加されます。このモデルの基本的な構成は「1400GSR」と共通化されていますが、「RX」には日本で初めて量産車両に4輪ディスクブレーキを装備するという、やはり以後のクルマ作りでは先鞭となる試みがつめ込まれています。

そして1973年6月、ピラーレスハードトップの2ドア車両がラインナップに追加されています。このボディタイプにはリアシートのヘッドクリアランスが厳しくなりがちなため、リヤウィンドウの傾斜角をクーペよりも立ち気味にされ、また車高も15mm高くされています。またフロントグリルは4灯式にされCピラーは太くランドートップ風に仕上げられるなど、初代レオーネは中々のクセが強い顔つき揃いですが、そのなかでも、特異な風貌となっています。

1973年10月、マイナーチェンジが行われセダン、クーペ、エステートバンのそれぞれのフロントグリルが変更され、またインパネはハードトップが先行した形で、このハードトップのデザインが適用されました。そして、セダンの1100ccタイプは1200ccへとスケールアップされるとともに、エステートバンのFF車にはトップグレード「1400GL」が新たに設定されました。このエステートバンは当時の商用車としては珍しいマスターバック付きの前輪ディスクブレーキが標準装備となっていました。

世界初「4WD量産乗用車」をラインナップ

1975年1月20日、エステートバンからつづく形で、4WDのセダン型乗用車「4ドアセダン4WD」が世界初の量産乗用車として生産が開始され、また日本の前輪駆動車としてはじめてフルオートマチック車(セダン・カスタムとハードトップGFに対して設定されています)とダブルの世界初が同時に発売されました。更に、この時にマイナーチェンジが行われセダンには1200GLが追加され、他にホイールカバーの変更やセダン1400シリーズのフロントマスクをハードトップと同じ丸型4灯ライトに改めています。

同じ1975年10月、SEEC-T(Subaru Exhaust Emission Control – Thermal)と名付けられた排気ガス浄化方式が採用されています。この事で当面の対応が求められていた基準、50年規制だけではなく、51年排出ガス規制への適合も果たしていました。そして、この方式採用によるパワーダウンを補うため、レオーネの全構成が見直され、1,200ccは1,400ccへ、そして1,400ccは1,600ccへと排気量のサイズアップが行われています。

他社が苦しむ中で53年排ガス規制にも全グレードがパス

1977年4月、レオーネ全モデルでSEEC-TへEGR及び、吸気温度自動調整装置(ATC)を追加することで53年度排気ガス規制適合を達成していて、これは他の全メーカーよりも早い対応となりました。しかも、この規制適合が難しかったスポーツカーが軒並み淘汰される事態に対して、スバル・レオーネはツインキャブのスポーツモデルも含めて生き残ることができたことは快挙であり、スバルファンだけではなくジャーナリストなどからの喝采を受けています。そして、このときに合わせて大幅なマイナーチェンジが実施されています。このことでボディサイズは拡幅され、リヤトレッドも50mmも延長されています。また、フロントマスクはシンプルな造形にまとめられ、強いアクが少し抜けた印象があります。そして、リアデザインも変更されたことで全体に初期型の外観に比べシンプルな印象が強いものとなりました。

また、インテリアはアッパートレイ付きのダッシュボードが備えられますが、これは先にヒットしていたホンダ・シビックの内装デザインの影響が感じられます。そして、この時点でセダン・カスタムに新設定の最上級モデルの座は「スーパーカスタム」が担うことになりました。そして同じ1977年11月、セダン・2ドアハードトップにポンティアックの車名と同じ「グランダム(Grandam)」というグレードが追加されています。このグランダムはアメリカ仕様と共通化された大型衝撃吸収バンパーが装備され、内装、そして外装は派手な色調で統一されたものでした。また同1977年10月、アメリカの1978年モデルと歩調を合わせ、輸出専用ピックアップトラック「ブラット」も発売されています。



OHVエンジンながら4WDの進化、高級化が図られた「2代目スバル・レオーネ」

2代目のレオーネは1979年6月1日に発売されました。この2代目はスバルとして3代目サンバー以来となる実に6年ぶりの新型車ということで期待を集めます。

主な変更は、ボディサイズの拡大、1,800ccエンジン搭載モデルの追加と中型大衆車のマーケットに適合させることと主眼とする新型車になっています。ボディタイプは、6灯式ライトの4ドアセダンと、オペラウインドウを持つ2ドアハードトップ、エステートバン、そして「スイングバック」と呼んだリアのオーバーハングを270mm、ホイールベースは80mm短縮して、全長は4m以下に抑えた3ドアハッチバックがラインナップされています。初代で好評だった4WDモデルはセダン、エステートバン、そしてスイングバックにも用意され、さらにセダン最上級グレード「1800GTS」にはスバル車初となるパワーステアリングとパワーウインドウ、そしてオートエアコンがオプションですが装備可能となっていて、グレードの高さによるハイクラス化への対応も行われています。また、悪路や雪道での走破性を向上させるため1,800ccの4WD車に「デュアルレンジ」という副変速機が搭載されています。これによって4速マニュアルを前進8段、後進2段の超クロースミッションとして使用できるようにしています。ただ、エンジンはOHVのままとされ、また3速オートマチックや手動式のチョーク、4WDのマニュアル車にも4速のままで5速はないという時流に即していない部分が明らかになっています。

スバル・ツーリングワゴンの歴史がスタート

そして、1981年6月2日のマイナーチェンジでは、4ドアセダン1800、そしてハードトップに異型角型2灯式+複雑な形状のフロントグリルが当時にトレンドだった角型4灯のシンプルなものに変更されています。そして同じ1981年8月25日にスバル初となる5ナンバーステーションワゴン「ツーリングワゴン」がラインナップに追加されます。これはエステートバンのルーフを途中から30mm高くした2段ルーフとし、装備は4ドアセダン1800 4WD、1800 GTSと同じレオーネとしてはハイグレードな仕様とすることで、レオーネの顧客層にレジャーを目的とした購買層の取り込みが図られています。この考え方は、ツーリングワゴンを継承したレガシィにも繋がるものです。

世界初「オートマック4WD」でレオーネにも「技術のスバル」の魂が宿る

同じ1981年11月、「レオーネ1800cc4WDオートマチック」がセダンとツーリングワゴンに追加されます。これは、日本ではじめての4WDにオートマチックトランスミッションの組み合わせで、FR用トランスファーに、世界初となる「湿式油圧多板クラッチMP-T」を採用したもので、ここで久方ぶりとなる「技術重視の姿勢」という富士重工の伝統が「4WD」をキーワードにした形で顔を覗かせます。ちなみにMP-Tは駆動させるためにオートマチックトランスミッションのライン油圧が必要だったため、マニュアルトランスミッションには装備することができませんでした。

続く1982年11月、日本初となる1,800cc水平対向エンジン(120ps)と4WDの組み合わせにターボを搭載したモデルがセダンとツーリングワゴンのオートマチック車両のみですが追加されています。このターボ搭載は、他社でも多く見られブームと言ってもいい状況で、富士重工も時流に合わせた対応と考えてよいでしょう。そして、翌1983年7月には4ドアセダンに対して1800ターボ、16004WDが追加された一方で、ハードトップを新設定となる4WD1,800ccツインキャブのスポーツモデル「RX」に一本化、FF駆動方式のモデルは廃止されています。

4WD化は順調。しかしハイパワー化の流れからは取り残されたレオーネ

この時点で、他社では1,800ccターボ車はグロス135PSが一般的になっていた時期に、グロス120psしか出せなかった大きな理由はOHVエンジンを使っていたことです。そのため、最高許容回転数は5,500rpmと低く、ハイパワーとはできなかったのです。これは、1980年代に加熱する「パワー競争」に遅れをとってしまったと言えるでしょう。

1983年10月、4WDターボに油圧式車高調整機能の「ハイトコントロール」が搭載され、またオートマチックにはロックアップ機構を付けています。これは4WD車種をアグレッシブに売り込むための施策で、この結果「レオーネ=4WD」という差別化が進んでいきます。逆に2WDモデルでは、他社のライバル車が多く、日陰の存在になっていきます。



スタイリッシュな直線的フォルムに変わった「3代目スバル・レオーネ」

3代目レオーネは1984年7月16日に「オールニューレオーネ」として発売されます。当初のボディタイプは4ドアセダンのみ、そして3ヶ月後の10月25日にツーリングワゴンとエステートバンが追加されました。この変更で従来よりも大型化されたボディサイズ、そして当時のトレンドだった直線的な外観が目を惹くところでしょう。この直線的な外観は、フラッシュサーフェス化されCd値は0.35という良好な空力特性と合わせてアピールポイントとされました。ただ、従来のスバルファンから見ると無骨さは薄まった印象から「スバルらしくない」とも見られたようです。

エンジンはスバル伝統の水平対向4気筒EA型1,800ccのみとしましたが、バルブ作動方式はスバル1000以来使われていたギア駆動のカムシャフトでのOHVからタイミングベルト駆動のカムシャフトによるOHCに改良して「EA82型」進化ていました。このことで少しですが、高回転化が可能となってターボで130psと若干の高出力化が図られています。

レガシィ、インプレッサに引き継がれたレオーネの技術

トランスミッションは5速マニュアルが採用され、これに合わせたデュアルレンジ副変速機も継承されています。このことで走行中の実質の変速段数は10段ということになりました。そして最上級グレード「GT」にはエアサスペンションとハイトコントロールも装備され乗り心地と悪路のクリアランスを両立させています。

そして、世界初の量産乗用車での4WDだったとは言え他車の追随も激しくなり、従前の通りのパートタイム4WDでは、アウディ・クワトロにはじまったフルタイム4WD化、そして国内でもマツダ・ファミリアが4WD(1,600ccターボ)に装備される状況に競争力が低下していきます。そこで、1986年4月発売の「3ドアクーペRX-II」(1,800ccターボ)から、ベベルギヤとバキューム・サーボ式のデフロック付きのセンターデフの採用のフルタイム4WDがラインナップされます。そして同1986年10月にセダン、ワゴンにもマニュアルトランスミッションのフルタイム4WD搭載車が拡大されていきました。

一方、オートマックのラインナップが遅れますが、1987年10月に電子制御式4速オートマック「E-4AT」採用と同時に従来のMP-T4WDから専用のコントロールユニットを使いパルス制御によって前後トルク配分を予測制御するという「ACT-4」という、高度な制御方式を持つフルタイム4WDへ発展させることで3代目レオーネの4WDがフルタイムとして完成します。

まとめ

こうして「スバル」の普通乗用車、そして4WDメーカーとしての路線を確立したレオーネですが、悪路や雪道での走行という「実用」が前面に打ち出された設計で、乗用車としては地上高がやや高めになっていました。またバンパーも地面に干渉しにくいデザインにもなっていて、非常に合理的なものだったと言えます。しかし、このことは、「垢抜けない」というイメージを植え付けてしまった側面もあります。

このこともあって、レオーネと言う名前はレガシィ、そしてインプレッサへとに改められ、1989年2月からラインナップが絞りこまれ、1992年10月に実質的な生産が終了します。この後、1994年3月から2001年まで、日産自動車からADバンをOEMし「レオーネ」として販売していました。が、実質は3代目までがレオーネでしょう。そしてレオーネで培った技術は純粋にレガシィとインプレッサに引き継がれています。

これからも「技術重視」のスバルらしい、少し無骨なクルマを作り続けて行って欲しいですね。