【マツダカペラ】実は疾風だったこともある、世間のミドルカー

カペラってどんな車だったっけ? と聞かれたとして、私だったら、「ほら、四角い目をしてて昔よくタクシーに使われていた…」と答えてしまうでしょう。一時期、街中でこのタイプを実に多く見かけた気がしていて、その意味で言うとまさに普通の車代表。でも、その歴史をちょっと掘り返ってみたら、昔は他に負けない程の、彩り豊かなドラマを演じてたことが分かります。今回は、そんなマツダ カペラについて振り返ってみましょう。

初代カペラはロータリーエンジン実用化を推進

前回の東京モーターショーで、ロータリーエンジンの研究を継続していることと、未来におけるひょっとしたらの復活を示唆し、いまだに日本各地に結構残っている、このエンジン技術に関する根強いファンの人たちから、かなり前向きな反応を得たマツダです。現在では、実車にリリースするのがかなり難しい、といった印象のこのエンジンですが、かつて、例えば、初代マツダ カペラが発売された1970代の頃は、全社的に経営資源を投入して、開発と実用化を推進していたこともあるんですね。カペラの歴史は、ロータリーエンジンの発揮する群を抜く強烈なパワーや、そのコンパクトさなどのメリットによって、一気に勢いを与えられたとも言えるものでした。

初代カペラ

長らくカペラとマツダを愛用されている方には、冒頭に書いた「タクシーでよく見かけたアレ」と、言う表現には、若干ご気分を害された向きもあったかと存じます。ただ、苦労なくどこでも見かける普通の車、という意味合いは前向きなものではあります。そして間違いなく、そういった私の個人的なイメージから最も距離が離れていたのが、この初代のマツダ カペラです。もちろん、年代が開けばモノが違ってくるというのも当然ですが、それだけでなくコンセプト的にも実際の存在としても、開発者達の先鋭的な意図が形となり生みだされたのが、マツダ カペラという車種だったと思います。
1970年に登場したその車体に、2ドアクーペと4ドアセダン、2種類が設定されていたのも、今どきの日本車メーカーがあまりやらない、この時代ならではの健全な商品企画でありました。そしてクーペ用に用意されていたのが、当時マツダが全力を挙げて実用化に漕ぎつけたロータリーエンジン12A型。2ローターであるその排気量は573cc × 2、出力120ps/6,500rpmにトルクは16.0kgm/3,500rpmのハイパワーをもって、0〜400m加速では15.7秒を記録し、その1トン弱の車体を最高時速180kmまで引っ張て見せるという、当時としては群をぬいた性能を誇ったそうです。さらに、ロータリーエンジンの小ささは、このクルマに1クラス上級の室内空間をもたらしてもいました。もちろん、他にレシプロ式の1.6リッターエンジンが当初から設定され、それを追うようにして1.5リッターのレシプロエンジンも追加になっています。
このカペラは、ファミリアとルーチェの間にある隙間を埋めるために企画された車種です。つまり、中間層で頑張るということを、生まれながらに宿命付けられていた訳なのですが、しかし当時の世の中と自動車業界には、ただの隙間を埋めるには余りあるパワーがみなぎっていたようです。ロータリーエンジンによりもたらされる高性能を擁して、『風のカペラ』と称されたのが、この初代モデルでした。
1971年になると、ロータリーに合わせた設定を施したオートマチック・トランスミッションである、REマチックもはじめて追加され、このタイプは、0〜400m加速で17.5秒の記録を残しています。

環境技術に対応した2代目

実質的には、カペラの第一世代のキャリアがとても長く、1974年2月に行われた型式の変更も、当時の環境問題に適応させるため、その技術的な見直しによる部分が大きかったようです。その新技術とともに投入されたのが、カペラロータリーAPと呼ばれたモデルで、これに使われていたものが、1975年の排ガス規制に適応したロータリーエンジンでした。また同じAPの名が付けられたレシプロタイプに、1.8リッターも用意されました。
この時代の自動車メーカーは、例の米国マスキー法による排ガス規制などへの対応を、強く迫られていたのですが、ロータリーエンジンは排気温度が高いなどの理由から、一般的とも言えた、当時の触媒による排ガスの浄化が出来なかったそうで、APロータリーエンジンでは、エキゾースト系内で排気ガスを高温処理する事で、未燃焼ガスを完全燃焼させる、サーマルリアクターという装置を使いました。この方式だと、エンジンの背圧上昇を招かない分、出力低下にはつながらないものの、排気ガス濃度を調整する目的で多めの燃料を使うために、燃費性能には劣化を招いたそうです。ロータリーはガス食い、というイメージの大部分が、こういった過渡期に生まれた先入観なのかもしれませんね。
デザイン的には、セダンのフロントグリル廻りなどが若干手直しされていますが、初代に備わっていたすっきりとしたまとまり感がなくなって、若干くどくなった…と言う気もしますが、いかがでしょうか。 【基本情報(参考値)】
名称:カペラ(初代)
エンジン排気量:1,500cc/1,600cc/573cc x 2ローター
全長:4,150mm
全幅:1,580mm
全高:1,420mm
重量:965kg
ホールベース:2,470mm



3代目カペラ登場

マツダ カペラに、はじめての本格的なモデル変更がなされたのは、この世に最初に生まれた瞬間から8年余りが経過した、1978年10月のことで、このモデルは本格的な海外市場の開拓を掲げ、開発されたモデルなのだそうです。そのためにまず用意されたボディーは、従来通りの4ドアセダンにプラスして、以前のクーペを取りやめBピラーを無くしたハードトップタイプの2ドア車でした。このハードトップモデルは、Cd値0.38という高い空力性能がある車体でもありました。
ルックス的には、ヘッドライトを含めたフロント部分が、直線でぴゅっと描かれている印象を持っていて、いわゆる、新しい方の『カペラ像』を感じさせるものになっているでしょう。
その動力は、当初は1.6リッター&1.8リッターの直列4気筒が用意され、後に、2.0リッターの4気筒タイプが加わります。この1.8リッターにLPG燃料のタクシー向け仕様が生まれたのも、この代のカペラなんですね。1973年の第一次オイルショック以来、原油供給に逼迫感が続いていたこの頃ですから、ある意味、セダン系の車種からロータリーエンジンが消えるのは、時代の要請にこたえる上でも仕方なかったことです。
【基本情報(参考値)】
名称:カペラ(3代目)
エンジン排気量:2,000cc/1,800cc/1,600cc
全長:4,415mm
全幅:1,660mm
全高:1,380mm
重量:1,075kg
ホールベース:2,510mm

4代目の革新

1982年9月に登場したマツダ カペラには、自動車としてさらに大きな変化(進歩)が見られます。駆動方式をそれまでのFRに代えて、FFへと大変更したのです。この時の経営陣は、カペラにFF導入、というのはかなり懐疑的だったそうで、売り物でもあった走り味が変わることもそうでしたが、現実問題として設備投資も大きな負担でした。これを押し切ってFFへ切り替えたのは、むしろ開発陣の方だったのだそうです。
今どきでは、商品企画とかエンジニアがFRやMRをやりたいなどと主張しても、経営陣がそろばんをはじいた結果やはりNG、なんて話ばかり聞きますから、時代というものも変われば変わるものですね。
この代のモデルでは、2ドアクーペが復活し、加えて4ドアセダンと、リアをハッチバック(セダンのバック全体をハッチにしたような形状)にした5ドアのモデルが用意されました。それらのボディに搭載されたエンジンは、当初、1.6、1.8、そして2.0リッター燃料噴射の、マグナムエンジンと称された新開発のものです。これは、燃焼室および呼気ポートの形状に改良を加えつつ、重量も26kg削減した優れものでした。後に、2.0リッターにはターボ過給つきも追加され、145psのパワーを誇りました。
駆動方式が大変革を受けた一方、デザインはよりすっきりと洗練されつつも、上手く先代のイメージを踏襲したものになっています。第3回日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したこのモデル、輸出名称はマツダ626ですが、フォードにOEM供給した車両は、テルスターとの名称で販売されています。ヨーロッパなどでもヒット作となり、納車待ちの顧客に渡すための置物が用意されたりしたそうですよ。

カペラとタクシー

上記のとおりに、1.8リッターのLPG仕様エンジンは、すでに3代目のFRカペラに投入されており、この車両、その整備性の良さなどが理由で、日本全国のタクシー会社さんからなかなかの評判を得ていたようです。だから、その需要にこたえるべく、タクシー仕様に限っては1985年までFRタイプの生産を続けた、とのことです。その生産が終了されると同時に、4代目のカペラにもLPGエンジンが加わり、かくして、私の記憶の中に留まる、タクシー・カペラのイメージが確立した訳であります。 【基本情報(参考値)】
名称:カペラ(4代目)
エンジン排気量:1,600cc/1,800cc/2,000cc/2,000ccディーゼル
全長:4,515mm
全幅:1,690mm
全高:1,410mm
重量:1,050kg
ホールベース:2,510mm



5代目(そして6代目)

長い歴史の中で、良い時期も悪い時期もあったと思うのですが、それでもマツダという会社は、ロータリーへの取り組みなどを筆頭にした面白いことを、どこかで考えて形にしてくれるメーカーだと思います。
1987年に発売された5代目のマツダ カペラも、多くの新技術が盛り込まれることになった一台でしょう。まず、大きいものは、世界初の電子制御車速感応型4WS(4輪操舵)の採用です。これは、ドライブフィールのリニア感を追求した技術です。そしてもう一つの技術が、ディーゼルエンジンに適応されたプレッシャーウェイブスーパーチャージャー(PWS)と呼ばれる過給システムで、これも量産車では世界初だったそうです。このPWS、排気管に生じる高圧のサージをなんらかの方法で吸気管へ伝達することで、エンジンが吸い込む空気に過給圧を加える技術であり、吸排気が変に混じらないよう、両方を結合するタイミングを制御するのが難しいのだそうです。さらに駆動系では、フルタイム4WDを、5ドアハッチバックの車体を持つカペラCGに最初に投入し、後にセダンへも拡大しています。カペラの4駆では、リアのディファレンシャルにビスカス式のLSDを採用していました。
ボディータイプとしては、5ドアモデルの他に、4ドアセダン、カペラC2と名付けられた2ドアクーペ、そして、カペラカーゴの名称のステーションワゴンがあります。デザインは、フロントグリルを横長でクールな印象として、なかなか良いまとまりになっていて、特に斜め前から見た時のカーゴは、まだまだ今の時代でも通用しそうな感じです。ちなみに、1991年にカペラは後継車種へと使命を引き継ぎ、一応表舞台から消滅しますが、このカーゴだけはカペラの名前でしばらく製造・販売が継続されました。

エンジンの改良

5代目マツダ カペラに当初用意されたエンジンは、先ず、2.0リッターDOHCで出力140psのものを筆頭に、SOHCの1.8EGIで97ps、1.6で73ps、そして2.0リッターディーゼルにPWS(プレッシャーウェイブスーパーチャージャー)を組み合わせ82psを絞り出すタイプ、などでしたが、後に、2.0リッターDOHCは150psを出すハイオク仕様へ変更され、また、ワゴンのカーゴ向けのPWSディーゼルの出力が、最終的に88psへとアップされます。さらに、ライフの途中で1.8リッターにもDOHCで115psのエンジンが追加されました。

6代目カペラは緊急リリーフ

カペラの歴史にも、自動車のそれとして良く見られる、消滅と復活というエピソードがあります。1991年にクロノスの登場によって、ワゴンを除いてカペラという車名は消滅していたのですが、税制などの影響もあって販売戦略が混乱し、その後継車種の売り上げが危機的に減少しました。そこで、テコ入れとして行われたのは、カペラの名前をもったセダンの復活だったのです。
もちろん、当時マツダが持っていたコンポーネント、クロノスのシャーシにユーノス500のサスペンションを流用し、急ピッチで成り立たせた車で、話によるとたったの9ヵ月で設計を終えたと言う、まさに日本国内専用で緊急登板の一台がこれでした。 【基本情報(参考値)】
名称:カペラ(5代目)
エンジン排気量:1,600cc/1,800cc/2,000cc(SOHC、DOHC)/2,000ccディーゼル
全長:4,515mm
全幅:1,690mm
全高:1,375mm
重量:1,220kg
ホールベース:2,575mm

羊の皮を被ったオオカミを追いかける

ここで、時計の針を再び1970年代へ巻き戻します。それはオイルショック以前の頃、日本人にとって自動車の存在はもっと大きくて、そして国内のレースが一つの頂点を極めていただろう、そんな時代です。
この少し前から、日本国内の4輪モータースポーツを、その圧倒的な性能により牛耳っていたのが、あの伝説のマシン、スカイラインGTRでした。1971年6月、モンスター級の強さを見せつけるそのGTRから、レース界の覇権を奪還するために、まっこうから勝負を挑んだのが、その時、ロータリーエンジンの実用化に成功していたマツダであり、最初の刺客に選ばれた車両が、ほかならぬマツダ カペラ ロータリークーペだったのです。573cc×2ローターから、225ps/9,700rpm絞り出す実力を持ち込み、この年にボディーを2ドア化してますます強くなった王者GTRとの間で、激しいレースを繰り広げることになります。
スカイライン勢は、あの高橋国光を筆頭に、北野元、黒沢元治らのトップドライバーが駆るワークスを、複数台のセミワークス車両が援護するという、絶対の布陣を敷いています。そんな中で、このシーズンが初登場ながらも、片山義美が運転したカペラクーペは、雨天の下開催された『富士グラン300』で3位を奪取するなど、すぐに実力を発揮しだします。
そして同年、秋開催の6時間におよぶ500マイルレース、『富士ツーリスト トロフィー レース』で、50勝目という記録を書けて望んだ王者GTRが、もしやのリタイア、カペラ クーペに初優勝の絶好の機会が訪れますが、片山義美&従野孝司、寺田陽次郎&岡本安弘ら2組がドライブしていたカペラも、途中トラブルで首位から陥落、結果的には同じロータリー勢のサバンナが、マツダ初優勝を果たしました。
カペラ クーペとしては、GTRを相手にした実質の最終戦と思われる、1972年10月開催の『富士マスターズ250』で、増田建基が運転した一台をようやく優勝に導いています。この時期のレギュレーションでは、排気量区分からクラス2へ分類されていた(GTRはクラス1)ロータリー勢ですが、軽量な車体などが戦闘力となって、まさに下剋上をはたした訳ですね。その後、レース界にはロータリーが覇権を握る時代が訪れます。しかし、石油ショックなど世界情勢の大変動期に入ると、主に燃費の悪さなどからロータリーエンジンの欠点がクローズアップされやすくなり、世の中にも受け入れられにくくなりました。現在では、ロータリーエンジン搭載のレースカー自体もあまりみかけません。
とは言うものの、全体として、マツダのロータリーエンジンによるモータースポーツ参戦は、1991年のグループCカー、787Bによるル・マン24時間制覇まで続き、そこで頂点を迎えました。やはりこのメーカーにとってもレースでの活躍は、勝ち負けやイメージ戦略による広告効果と言うもの以上に、技術集団として挑戦する場所の意味合いが大きかったのだろう、と思います。
これは仮定の話、妄想の話ですが、もしかしてこの時点のロータリーエンジンが、一般的な意味で燃費効率を伸ばす可能性をもう少し持っていたら、石油ショックなどの影響を最小限に食いとどめていたら、日本だけでなく世界中の自動車史は、大きく変わっていたのかもしれません。

まとめ

ファミリアやコスモスポーツよりも、何年か遅く登場したマツダ カペラは、自動車が安定的に発展してゆく、そんな時代に生まれた自動車だったと思います。そしてメーカーのマツダはカペラの開発にあたって、『スーパーエンジニアリング(本来ならば両立することが困難な複数の機能を、そのいずれも犠牲にすることなく高いレベルで実現する技術)』、の思想を取り入れていたそうです。その本分通りに、ともすると販売台数の伸びだけを目標とされそうな、ミドルクラスでセダン系のこのモデルにも、幾多の技術的な試みを導入し、問題を乗り越え、時には勝利をもぎ取ってきました。そんなエピソードの一つ一つは、今の時代に振り返っても興味深い話ばかりです。
ある時期、近所を見回しても、飲みに行った帰りに捕まえるタクシーを見ても、やけにカペラが目に付くなぁと思わせた、あの理由は、この車の内部に詰め込まれたエンジニア達の意気込みが、オーラのように車体から発散していたからなのかもしれません。

【MAZDA】カペラ|マツダの名車たち
マツダのクルマづくりの歴史をご紹介。数多くの名車を生んだマツダの歴史。