アルファロメオが作ったスーパーカー モントリオールって?

Mito、ジュリエッタ、4C。現在も魅力的な車を世に送り出しているアルファロメオ。実はFIAT傘下だってご存知ですか?もともとは純然たるスポーツカーメーカーで、モータースポーツにも力を注ぐ熱いメーカーでした。そんなアルファロメオが1967年モントリオールオリンピックの場で発表したスーパーカー。それがモントリオールです。

アルファロメオについてさっくりと

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アルファロメオのエンブレム “ロンバルダ自動車製造株式会社”(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili 、A.L.F.A.)が社名の由来です。
1910年6月24日、経営危機に喘いでいたフランスのダラック社イタリア工場である“ダラック・イタリアーナ”を買い取って創業したのがアルファロメオの発祥です。
ミラノの市章である赤十字と、かつてミラノを支配したヴィスコンティ家の家紋に由来する“人を飲み込む大蛇”を組み合わせたのが、アルファロメオのエンブレムです。当初は“ALFA MILANO”の文字が刻まれていました。

ロメオとの出逢い

8年後、ナポリ出身の実業家ニコラ・ロメオが経営する“ニコラ・ロメオ技師有限会社”と吸収合併します。その際、社名がニコラ・ロメオ技師株式会社に変更されました。
合併後の初仕事である“Alfa Romeo 20/30 E.Sport”のエンブレムには、旧ブランドの“ALFA”と新会社のロゴROMEO”をつないだ新ブランド名“ALFA-ROMEO”が貼り付けられました。これがALFA ROMEOの誕生の瞬間です。
ニコラは、“レースこそが技術力向上と販売促進において有益である”ということを理解していました。そこで、ジュゼッペ・メロージをはじめとするアルファ・ロメオの技術スタッフは、更なる高性能スポーツカー開発に没頭することになります。

国有化を経て再起

1930年、ニコラ・ロメオによる事業の失敗で、ニコラ・ロメオ技師株式会社から自動車部門が独立して“S.A.アルファロメオ”を名乗ります。
さらに1933年には、世界恐慌を発端に経営難に陥り、イタリア産業復興公社の支配下へと成り下がります。実質の国営化でした。



訪れた転機

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6C2500 Villa D'Este 1947年には、戦前の高級スポーツカーだった“6C”シリーズに改良を加えて生産を再開しました。カロッツェリア・トゥーリングのデザインした美しいボディをまとった“6C2500”は、ヴィラ・デステのコンクール・デレガンスで優勝します。
6C2500は、世界一優美な車として賞賛されたのでした。これを記念して、このタイプは“6C2500 Villa D'Este(ヴィラ・デステ)”と呼ばれています。

量産体制の整備

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Giulietta Sprint 1954年に、小型高性能車として名車の誉れ高い“ジュリエッタシリーズ”がデビューします。この時代のイタリアを代表するモデルでした。まずセダン、そしてクーペだったアルファ・ロメオの伝統を破りながらも、クーペボディの“スプリント”が登場しました。エンジンはアルファロメオの伝統に則ったDOHCで、1,300ccの小排気量ながら最高速160km/hという当時としてはかなりの高性能車でした。
ジュリエッタはファミリーカーとしても大成功を収めますが、そのスポーツライクな素性を買われ、多くのエントラントの手で数多のツーリングカーレースや公道レースに参戦しました。当時表彰台の常連だったイギリスやドイツの小型車と激戦を繰り広げたのです。

復活の兆し

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ALFA ROMEO Giulia TI 1962年には、本拠地がミラノ郊外アレーゼへと移されました。そして戦後アルファロメオのイメージを決定づけたジュリアシリーズがデビューします。
この車もオールアルミブロックの高性能DOHCエンジン、バルブの材質に熱伝導率の優れたソジウムの使用、5速トランスミッション、4輪ディスクブレーキなど、当時としては先進的な機能の搭載によって同クラスの車と比べても高い性能を誇っていました。 出典: https://ja.wikipedia.org/
Alfa Romeo Giulia sprint

世界を見据えた車づくり

ジュリアシリーズは各地のレースシーンでも連戦連勝を重ねます。アルファロメオの名前がヨーロッパに響き渡り、いよいよ世界へ向けて動き出します。 出典: http://welovecarz.com/
Alfa Romeo Montreal 1967年にプロトタイプがモントリオール万博に出展されました。モントリオールの名前はこれにちなんで命名されたものです。アルファロメオ・ジュリアの1,600ccのエンジンとプラットフォームを使用した2+2クーペで、デザインはベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによるものです。
量産車は、1970年のジュネーヴ・モーターショーで発表されました。ジュリア1750/2000GT系をベースにしながらも、レーシングマシンであるティーポ33用のV8・2,593ccを搭載していました。
圧縮比は9.0、出力230PS/6,500rpm、トルク27.5kgm/4,750rpm、最高速度は220km/hという高性能ぶりでした。足回りはGT系からの流用ではあるものの、ブレーキは4輪ともベンチレーテッドディスクに強化されていました。
生産台数は3,700台。当時、日本の正規ディーラーだった伊藤忠オートが10台輸入したと言われています。当時のサラリーマンの平均初任給が4万円だった時代に770万円で販売されました。
時の日本は“スーパーカーブーム”の真っ只中でしたので、雑誌や展示会などでよく紹介されていました。



終わりのまとめ

かつてメカニック時代(もう20年以上前ですが)に、一度だけ見たことがあります。暗がりのガレージの中でも、その美しいクーペボディはとても印象的でした。
この時代の車たちはファミリーカーのセダンデザインでさえ美しいと感じます。今更ながら、生産性やコストカットなどにより捨ててきたモノは少なくないと思わされますね。